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わたしがいう「宇宙」とは。

わたしがいう

「宇宙」って

どう説明したらいいんだろう?

 

とここ半月くらい

ずっと考えてたんだけど、

 

やってくるキーワードを拾っていたら

「大日如来」に行き着いた。

 

そうだったそうだった。

 

大日如来だった。

 

大日如来は

「宇宙そのもの」をあらわす。

 

わたしが言ってる宇宙は

 

あらゆる全てを包括するもの。

 

全てを生み出し引き取るもの。

 

愛の根源。

 

真理そのもの。

 

あー本当に宇宙の言語化難しい。

 

 

そして多分言語化して伝えても

受け取る人次第だから

わたしが見ているものは伝わらない。

(まーそれで良いんだけど)

 

 

で、書きとめたくなったから

突然自分語りしますけど、

 

わたしが

大日如来を本尊とする

寺に生まれてきたのも

 

比較的自由で自分を尊重され

色んな意味で

オープンな家で育ったのも

 

(でもそこに至るまでに

小さい頃から両親の常識や当たり前を

相当破壊しまくったと思う笑

わたしの人生の前半はおもに

戦いと苦しみが多い時間だった。

これはすべて愛の別角度。)

 

 

お坊さんにはならずに

 

(これも小さい頃から

絶対継がない、と決めていた笑。

ありがたいことに

歳の離れた弟が生まれてきてくれて

僧侶になってくれた)

 

絵を描いたり歌を歌ったり

見えない存在とつながったり笑

イベントやったり

自由に生きてるのも

 

(うちは芸術一家でもある。

歌と舞踊、絵を描くこと、

創り出すこと、イベントを発すこと、とか

当たり前のように享受してきたけど

家を離れてから

そういう家は少し珍しいのだと知った。

ちなみに寺を開いた曽祖父は

サイキックで数々の逸話を持っている)

 

感覚的に

自分のそのままで生きることで

 

「宇宙の理」と

 

「自分の世界を生きること」を

 

自分で体感し、体現したかったから

なんじゃないかと思う。

 

 

小さい頃から

 

「本当のこと(真理)が知りたい!」

 

と思ってたけど、

 

最初から答えがある場に

生まれてきてるのわかりやすい。

 

最初から答えは示されていたけど

それがなにかを知識として入れることは

なかったんだけども。

 

父に説明されても

専門用語が多くて???だったしな。

 

 

結局自分でいろんな経験して

体感して、こういうことなんだ、と

わかってから

 

え?大日如来って

もう存在がそのまんま答えじゃん!と

気がつくことになったからね。

 

 

やっぱり目の前に答えはあるけど

自分でわかりたい(体感)が

先だったんだと思う。

 

 

というわけで

 

宇宙と自分と世界のこと、

ここからまた

 

新しい体験と体感を受け取りながら

 

そして

 

人生もっと面白く

自由で快適に生きたい人を

サポートしながら

 

 

ますます

深めていきたい感じです。

 

 

一緒に遊びたい人

お待ちしてます。